TOP 2009年 5・6月の更新日誌 過去の更新日誌 2009年9・10月の更新日誌                                    

               更新日誌

         

2009年8月30日(日)衆院選挙
   
日本の衆院選は、予想通り民主党の圧勝に終わりましたね。夕方(中欧時間の午後7時半なので、日本ではすでに翌日)のオーストリア放送局のニュースでも、2、3分、日本の衆院選についての報道があり、自民党は、50年以上もの間、コンツェルンと結びついて、急激な経済成長を成し遂げ、国民も自民党を選び続けたが、ここに至って、失業の増加、年金政策の不備、政府と官の癒着に国民の不満がついに爆発し、野党に政権を託した、と言っていました。画期的な政権交代がついに実現したのですから、国民も成果を急いで、忍耐をなくすようなことにならないよう、じっくりと政策の実現を見つめて行って欲しいと思います。

2009年8月29日(土)朗読楽劇『天守物語・大田楽』
  
久しぶりに日本の公演を見た。今年は日墺交流140周年に当たるため、ウィーン民族博物館では、その記念行事を1年間、特別展覧会などの形で行っており、その一環として『天守物語・大田楽』(松坂慶子、和泉流第九世野村万蔵主演)公演が行われたのだ。

  泉鏡花の『天守物語』は、狂言の要素を取り入れたモダンな朗読劇として、松坂慶子が主役の富姫を演じた。シンプルな黒の洋風衣装に各シーンに合った美しい色柄の打ち掛けをまとうのみという衣装が非常にドラマティックな効果を上げていた。また雅俗混合の独自の文体も、富姫の恋人となる人間世界の武士、姫川図庄之助をはじめとする狂言風の他の登場人物たちの衣装ともよく合って、幻想的・神秘的な世界を作り上げていた。ドイツ語のナレーションつきで現地の人たちも楽しんでいた。

  後半の大田楽は、九世万蔵の兄である野村万乃丞(八世万蔵を継ぐ直前、数年前に惜しくも病気で亡くなった)が、14世紀に栄えながらその後衰退して消滅した各地の田楽を研究して掘り起こし、再興させたもので、中国・朝鮮の影響を受けたカラフルで華やかな衣装に身を包み、笛や太鼓等の演奏に乗って、掛け声をかけ合いながら、にぎやかでダイナミックな舞踊が繰り広げられる。獅子舞もあった。総勢30人ほどのうち、ウィーンに住む日本人も10人、市民参加したそうで、彼らは何とたったの二日間でガンガン詰め込んで、踊りを覚えたのだそう!うまく溶け込んでいましたね。お疲れ様!当時の農民の喜びやエネルギーが伝わって来てとても楽しかった! 

  こういう芸能各分野のコラボレーションや、旧きものを掘り起こして創造的に発展させて行くのはすばらしいと思う。日本の伝統芸能、がんばれ!外国にもファンが増えている。
 
   公演終了後は、「久しぶりだし、ちょっと食べに行く?」ということで、日本人の知人たちと食事に。皆、ウィーン滞在の長い者ばかりだったので、ベルリンの壁ができた時から知っている人から(当時ベルリン滞在)、生々しい体験談を聞いて、そうだ、忘れちゃいけない、と思いを新たにしたり、昔の仲間たちのその後について話したり、思い出話に花が咲いたりして、楽しい時間だった。

  
 2009年8月26日(水)
ピアノ調律
   
ついに今日、ピアノの調律に来てもらった。3年前の11月、コツコツ貯金してやっと中古のピアノを手に入れたのに、その後すぐ合唱団に入ることになり、練習の余裕がないうちに時は過ぎ、さらにどんどん腕は落ちて、自分で聞くのも耐えがたくなってしまい、なおさら弾くのがいやになるという悪循環。でも、弾きたくてやっと手に入れたピアノなんだから、やっぱり弾かなくちゃ、毎日30分だって練習すれば、少しずつ指も動くようになるんだから、あなたのやる気の問題よ!(および近所にすごい音を聞かせてしまっても動じない心臓の問題もあるけれど)ということでついに決心。今日、日本人の調律師さんに来てもらったのだ。

 とても丁寧に見てくれたのだが、調律師さんによると、「このピアノは昔、ずいぶん湿ったところに置かれていたらしいね。ハンマーにしみができている。ああ、それに板が割れちゃってる! これをちゃんと修理するのは難しいね。工場に戻さないといけないからね。う〜ん、相当古いと見えるね。この狂った音も直しても、また割りとすぐに戻っちゃうだろうね」、というかなりショックな診断。全体がかなり痛んでいるので、何度も狂うようなら、買い換えた方がよいそう。買った時聞いた25年どころか、もっとずっと古いらしく、どうもよい買い物ではなかったみたい。

  あ〜あ、がっかり! 今まではピアノを買ったその人に調律もしてもらっていたので、もちろんそんなことになっているなんて、全然知らなかった。音楽学校の校長先生が、あの人なら100%信用できるからだいじょうぶ、と推薦してくれたので、安心してピアノの修復・販売をしているその人から買ったのだけれど、私は素人だから、ひょっとして足元を見られたのかもしれない。あの時、校長先生は「心配なら、一緒に行ってあげるわよ」と言ってくれたのだ。やっぱり行ってもらった方がよかったのかも。この前、その人に調律してもらった時、狂った音を直してもらったのに、またすぐに元に戻ってしまったので、あれ、これって早過ぎない?と変には思っていたのだ。

 とりあえずできるだけ持つように、調律してみましょう、ということで、音が狂っていたところはかなり深くねじを巻いたり、別のキイのハンマーのピンを取り替えてくれたりしたのだけれど(これを見せてもらって、ハンマー自体も相当ガタが来ていることがよくわかった)、さてどの位音が狂わないで持つか。すごくいい音になったけれど、それでもやはり今日はショックな日だった。

2009年8月19日(水)血液検査結果
  
昨日取りに行って来た退院後初めての血液検査の結果は、退院時より格段によくなっていた! やっぱり山の空気の中でストレスから解放されて休むってすごい効果!

2009年8月18日(火)食事
    
さて、休暇中は、食事に関しては油ものは取らない、魚を回数多く食べるなど、外食でできる範囲のことはしたけれど、ホーホライトナーのケーキは例外でアイスクリームも時々食べてしまったので、ウィーン生活に戻った今は、食生活も戻さないといけない。入院以来、その後の熱などもあり、途絶えてしまっていた朝の人参ジュースを今日から再開。食事も元に戻した。さあ、健康回復に向けて努力しないと!

2009年8月18日(火)旅日誌メモ。マウテルンドルフ

  
さて写真のない旅日誌なんてまるで面白くないのは承知の上で、忘れないうちにまずメモを。私のパソコンは既に6年も経っていて、前にはできたことが色々機能しなくなっているので、この辺で新しいパソコンに換えることにしました。画像処理だけをできるようにしてもらってから、すぐに新しいパソコンを買っても時間の無駄になってしまうので、全部をいっぺんにすることにしたため、写真をたくさん入れた旅日誌がお目見えするまでには、2〜3週間はかかると思いますが、まずはメモで我慢してくださいますよう。全く画像なしというのも味気なさ過ぎるので、前にルンガウへ行った時の写真を少しご紹介しますね。

 2009年7月25日(土)
    午後4時頃、マウテルンドルフ(ザルツブルク州、ルンガウ郡)に到着。2回の休憩を含め、およそ4時間の旅だった。さあ、これから2週間、ゆっくり休むゾ!山の自然を満喫するゾ! 朝寝坊できるようにアパートメントを借りた。内装はとてもきれい!家具等も上質だし、センスもよい。花でいっぱいのバルコニーからは、素晴らしい山景色が望める。ここは海抜千メートルの大きな高原の上に幾つもの町が集まった地域で、周囲を2000m級の山々に囲まれている。マウテルンドルフの海抜は1100m。

  今回は前回のおばかを繰り返さないように、絶対無理をしないことにする。休むことを中心に、行動するのは少な過ぎる位にして身体を労わることにする。

 2009年7月26日(日)


  
郡庁舎。すでに1500年、この広場の位置に木造の役所があったことが記録に残っている。

    ゆっくり起きて、お昼少し前に郡庁のあるタムスヴェークへ。道を歩いていると、通る人、通る人、ほとんど全員が民族衣装を着ている!なぜだろう?お祭り?と思って尋ねると、今日は教会の祝日なのだそう。祝日にハレの民族衣装を着て教会に出掛ける習慣がしっかり残っているのだ。何だかとても嬉しい。民族衣装は見ていてもとてもきれいだし、特に小さな女の子がロングの民族衣装(女性用のものはディルンドゥルという)でおしゃれをしているのは本当に愛らしく、一瞬、写真撮らせてくれる?と頼もうかと思ったら、次の瞬間にはもう通り過ぎてしまっていた。ああ、残念!

  近くのレストランで昼食を注文するが、何と45分も待たされてしまって、お腹はすくは、木陰だったので、座っているうちに寒くなるは、でさんざん。海抜千メートルとなると、木陰に入っただけで、スーッと涼しくなる。さて、タムスヴェークに来たのは、もちろん毎年通っている例のケーキ屋さん、ホーホライトナーがお目当て。気分直しにカフェラテを飲み、ヨーグルトケーキを食べてご機嫌もなおった。帰宅すると、部屋のドアには、○○さん、ようこそ!と書いたハート型のプレートがかかり、ベッドの上には歓迎のチョコが置いてある。予約金到着確認の手紙が、まるで警察の指令書か何かみたいに信じられない感じ悪さだったので、もう来るのやめようね、と話していたのだけれど、ちょっと風向きが変わった。こんな風に歓迎してくれるなんて、まるで同一人物とは思えない。ひょっとすると、学校時代、ドイツ語作文の成績が悪かっただけなのかも?

2009年7月27日(月) 
   今日の昼食はマウテルンドルフで。ものすごくおいしいレストランを発見!ちょうどきのこの季節なので、舞茸の炒め物を食べた。近くを探索したあと、おやつはマウテルンドルフのケーキ屋さんで食べてみた。まあまあだったけれど、ホーホライトナーとの差は歴然。

2009年7月28日(火) 午前中雨、午後やむ
   雨が降ったので、気温はガンと下がって15℃位。ウールのセーターにキルティングのジャンパーでタムスヴェークへ出掛ける。通りのショーウィンドーを見るとちょっとすてきなディルンドゥルがあったので、中に入り、色々アドバイスしてもらって、結局今までとは胸の部分のデザインが違った赤いディルンドゥルを買った。ただしワンサイズ小さかったので、脇を4cm広げてもらうことにした。ウィーンで持っているのは、超やせの時に買ったものだったので、もうどんなにがんばってもまるでホックがはまらないのだ。今より6kg痩せていたのだから無理もない。それだけ元気になったのだから、嬉しいことよね。出来上がりが楽しみ!

 再びホーホライトナーに行って、日曜日食べられなかったレスティを食べた。
ここでは軽食も食べられ、ポテトのパンケーキ、レスティがとてもおいしい。おとといは、日曜日はケーキ類だけで軽食はなし、ということで食べられなかったのだ。今年は楕円形のレスティが2つではなく、大きさを小さく、丸くして4個になっていた。でもおいしさは同じ!ルンガウ、マウテルンドルフの歴史に興味を持ったので、タムスヴェークでただ一軒の本屋さんに行ったら、何と2時間半(!)の昼休み中だったので、次回また来ることにした。

2009年7月29日(水) 快晴
   午前中、近くのモースハーム城を見学に。ここは初めてだ。お天気が悪いと見学者が増え、晴れると来なくなってしまうのだそうで、快晴の今日の見学者はたったの3人。魔女狩りの時代にここで35人以上が処刑になったことが記録に残っているのだそうで、拷問器具の並んだ拷問室では、当時を想像して背筋が寒くなる思いがした。昼食を取って一度帰宅し、しばらく休んでから、放牧小屋群が今も残っているというゲリアッハの「小屋村」に出掛けた。
   
   放牧小屋というのは夏の間、牛たちを放牧し、牛乳でバターやチーズを作り、また冬の間の飼料にするために草を刈って貯めておくなどの作業をする小屋で、秋になると牛たちを追って、再びふもとの村へ下りて行った。夏の間は、まだ学童である男の子(ひとつの小屋に一人)とチーズやバターを作る女性とが一緒に住んだ。男の子たちは放牧のほか、水汲み、薪集めなどの雑用をした。

 普通、谷は狭いので、放牧小屋は一軒というのが普通なのだが、ここはたまたま谷が比較的広いこと、水場がすぐそばにあることなど好条件が重なって、8軒を一緒に建てることができたのだそう。窓もなく住み心地はよくなさそう。仮住まいだから、食事も大したものは食べられなかったろう。厳しい自然条件の下で、急斜面で草を刈り、薪を集めた男の子たち。チーズ、バターの製造に精を出した女性たち、当時の人々の重労働とその生活に思いを馳せた。

 パンフレットには「最後の駐車場から歩いて5分」と書いてあり、簡単に行けると思っていたら、確かにうそはなかったのだけれど、最後から2つ目の駐車場から最後の駐車場までの道のひどいこと!うねうね曲がった細い、砂利だらけの道で、最後から2番目の駐車場にいた人が、「歩いて1時間だよ。とても景色のいい道だよ」と言っていたところを、車で20分(?)くらいかかってしまった。しかも振動でバテるは、お尻は痛くなるは。道路が走りやすいかどうかが、これほどまでに疲れに影響を及ぼすんだと認識を新たにした日だった。ああ、疲れた!でも行ってよかった!
   
  2009年7月30日(木) 午後から豪雨
   昨日モースハーム城ではお昼休みになってしまって、パンフレットが買えなかったので、もう一度行って、パンフレットを買う。昼食を取って帰宅、休んでいるうちにすごい豪雨になったので、家で休むことにする。

2009年7月31日(金)
   今日は昨年泊まったザンクト・ミヒャエルに行って見た。ものすごくおいしくて毎日のように通ったレストランに期待して出掛けたのに、お昼の定食はビュッフェ式になって自分で取りに行くように変わっており、ウェイトレスの対応もつれなくてガッカリ。ここはとにかく感動的にサービスがよく、しかもおいしく、内装も素晴らしくて大好きなレストランだったのだ。

 このレストランはホテルも経営しており、しかもウェルネスの方にも手を広げて非常に大規模にしてしまったため、経済危機の影響をもろに受けて、経費節約を強いられたんだろうね、と話したけれど、もちろん観光業界にも不況の波は広がっている。近年は、間際になってから割引パックを予約する人が増えたという。これで20%位費用が節約できるからだ。また宿泊日数が減り、田舎でも一週間、せいぜい二週間になって、三週間の休暇なんて夢になってしまった。もっとも、これはユーロに切り替わってから物価が大きく上昇したからという理由が大きく、休暇に限らず、日常生活でも安いスーパーに行く、特売情報に常に気をつけるというのが一般的になって来ている。

 そのあとタムスヴェークへ行き、またまたホーホライトナーのおいしいケーキでおやつ。お昼休みが終わったところを見計らって例の本屋に行き、ルンガウの本を購入。そのあと直しを頼んだディルンドゥルを取りに行った。試着したら、「わぁ〜、すごく似合う!」と褒めてくれたので、いい気分になって、そのまま着ていくことに。くるぶしまでスカート丈のあるロングのディルンドゥルだ。宿に戻ると、毎日ディルンドゥルを着ているし、自分でディルンドゥルも縫ってしまうという女主人は、エキゾチックな日本人がオーストリアの民族衣装を着ているのに大喜びしてくれて、ひとしきり話が弾んだ。どうも彼女は打ち解けるのに時間がかかる人だっただけみたい。

2009年8月1日(土)朝霧、後快晴。
   今日はマウテルンドルフの象徴とも言うべきマウテルンドルフ城へ。ここに来るのは3回目。展示構成やオーディオガイドがとてもよくできている。12時半からの塔のガイドツァーにも参加。それまでの待ち時間を利用して、中世の広間を利用したお城の食堂で、ルンガウ風ベーコン入りゆで団子スープを味わう。こくがあってとてもおいしかった!ガイドツァーでは城砦としての塔を守ってそこで暮らした人たちの日常生活を再体験。ガイドによって話すことが少しずつ違うのも興味深い。

マウテルンドルフ城

   16世紀にはザルツブルク大司教区に属し、聖俗の領主を兼ねたコイチャッハ大司教がここを支配していた。大司教の日常生活も展示で垣間見ることができる。当時は横になって眠ると二度と目覚めないという迷信があったため、座って眠ったのだそうで、大司教のベッドの長さはたったの1.2m。座って眠るとどんなに眠れないかは、5月の肺炎の時に骨身に沁みて体験している。そう考えると、中世の人たちは睡眠障害者集団だったわけね。それとも慣れちゃうと、座っていてもぐっすり眠れるようになるのかしら。

 一度帰宅して休んでから、夕方、ほぼ隣村のヴァイスプリアッハへサムソンの行列を見に行く。サムソンは聖書の英雄を模した張子の人形で、5〜6mもの高さがあり、中に人が入って動かす。中世、キリスト教布教のために僧院から僧が送られ、見てよくわかる人形のサムソンを地域の人々に広めたという。サムソンは二人の従者を連れて、地域の吹奏楽団と一緒に、時々立ち止まっては少し踊って進んで行く。行列が終わると広場でのコンサートが始まる。もちろん食べたり、飲んだりの楽しみは欠かせない。こうした行事は遊ぶ場所の少ない村の人たちの大きな楽しみなのだ。

   ところでコンサートを聴いていると、最前列でクラリネットを吹いている若い女性に見覚えがある。あれ? こんなところに知っている人がいるなんて!? と思ってよく見ると、なんとディルンドゥルを買った時アドバイスしてくれた店員さん!思わず手を振ったら、向こうも気がついてニッコリして手を振ってくれた。

 そうかぁ、週日は店員さんで、週末は吹奏楽団員なのね。マリアプファル吹奏楽団の一員。地方の若い人の生活がちょっと想像できて、がんばってね、元気でね、と心の中で応援を送った。

2009年8月2日(日)快晴
   今日もゆっくり出発。タムスヴェークでも午後1時からサムソンの行列があるというので、まずはお昼を食べる。お祭りの日とあって各レストランはかなり混んでいる。やっと見つけたイタリア料理店に入り、ピザを注文したら、なんと生地のおいしさったら!小麦粉の味が全然違う!こんなおいしいピザは初めて!これでお気に入りのお店がまたひとつ増えた。何だか嬉しくなって、お店を出たところで、会場への道を尋ねるついでに屋台のアイスクリームを買う。イタリアのアイスクリームはおいしいので有名。これもすごくおいしかった!

   少し離れた会場近く、サムソンがいた、いた! 周りに人がたくさん集まっている。吹奏楽隊の演奏が始まり、サムソンとともに少しずつ行進。大テントを張った会場まで、1時間くらいかけてゆっくり進んだ。会場では、すでに別の吹奏楽団が演奏している。折りたたみ式の長テーブルと長ベンチに座って、たくさんの人たちがビールを飲み、ソーセージを食べながらワイワイおしゃべりしている。ディルンドゥルを着ている女性、民族衣装の膝までの皮ズボンをはいている男性がたくさんいる。お祭りなので私もディルンドゥルを着て来た。3時半になって行進して来たタムスヴェーク吹奏楽団が、ようやく休憩を終え、前の吹奏楽団と交代して演奏を始める。リクエストしてください、とレパートリーを書いたビラが配られた。郡庁のあるタムスヴェークの吹奏楽団とあって、大所帯だ。疲れてきたので、1,2曲聴いて会場をあとにした。

2009年8月3日(月)〜8月8日(土)
   あらら、翌日、どういうわけかまた熱が出た!昨日はカンカン照りだったので、直射日光に当たらないよう帽子もちゃんとかぶっていたのに、やっぱり1000mの山の空気とカンカン照りのお日様の力を過小評価してしまったということらしい。
   さて熱が出た時は、最高まで上がってから薬を飲まないとちゃんと効かない。今回はどうも勘違いしてそれをしてしまったらしく、上がったり下がったりして、食事に出られたのは水曜日のお昼と、金曜日の晩だけ。それでも金曜日にはちゃんと下がり、土曜日にはきつかったけれど無事帰宅できた。

というわけで、何だか尻すぼみの休暇になってしまったけれど、第一週目はお天気にも恵まれ、気分の赴くまま、こんな解放感を味わったのは初めて、というくらいゆったりと過ごせたので、本当に楽しく、それだけで充分二週間分楽しめた。後に残ったのは素晴らしい思い出。これでまた元気にウィーン生活に戻って行ける。
   


 
マウテルンドルフ城に続く道

 
    **************************

*RSOウィーン存続のための署名、目標まであと20,000です!どうかご協力をお願い致します。下のタイトルをクリックすると、5,6月の更新日誌の記事に飛び、詳しいことを読んで頂けます。署名期限はありませんので、どうぞたくさんのお知り合いにお知らせ下さいますようお願い致します!

■RSOウィーン(ウィーン放送響)を潰さないで!署名のお願い(2009年6月2日)
 ■RSOウィーン署名中間報告(2009年7月2日) 

*上の二つの記事、署名のお願いと中間報告はこちらに移しました。どうぞよろしくお願い致します。 

  

2009年7月23日(木)またまた怒涛の10日間
   
さて、7月11日(土)がラッキーな日と感じたのには、実はその前日の10日(金)が、残念なことにアンラッキーな日だったせいもありました。

 夕方、PDFデータを添付したメールで仕事を納入したら、何と空メール、しかもいっぺんに10通にもなって届いてしまったのです!再起動してから再送しても同じ。こんなトラブル、全く初めての体験です!それにPDFデータは結果的に着かなかったのですから、まだ仕事を納めたことにはなりません。しかも月曜日にサーバーと話せば、自然に解決するというわけのものでもありません。わ、どうしよう!!!と、こちらは気が動転!とりあえず、別の無料メールアドレスから送り直して見ましたが、もうちゃんと着いたかどうかは確認ができません。

 でも、週末の間は、相手先の状況は変わらないわけだから、こちらは日曜日までは、どうすればよいか考える余裕がある、それにどちらにしろ月曜日まで、サーバーとも連絡はできないんだから、まずは落ち着いて、落ち着いて・・・。そしたらたまたま翌日、とてもよいお天気になったので、11日の記事になったしだい。

 12日(日):友人を巻き込んで、あれこれと実験、最終的に一番確実に着くと思われた2方法、無料メールアドレスから送るのと、友人のアドレスから私の添付書類着きメールを転送してもらうという方法で送りました。ああ、気が疲れた〜!

  13日(月):さっそく相手先に電話すると、無事着いた、という返事で、心臓から石が落ちた(=肩の荷が下りた、の意をドイツ語でこう言います)どころか、エベレスト級の大高山が崩れ落ちたくらいホッとしました。しかし、電話したサーバーの技術担当者の方は、あ、そういう時は、うちのウェブメールから出せばちゃんと着きます、だけでおしまいのつれない対応。あのね、それじゃあ、根本的な解決にならないでしょうが?!

 14日(火):午前中、漢方のケヴィン先生(名前が私の好きなケヴィン・コスナーに似ているので、勝手にこう呼んでいます)の診察に。耳に当てて計る体温計で計った先生が、「体温がいやに高いよ」と言います。でも私は不思議なことに何も感じていなくて、元気な気分でした。でも、今にして思えば、あれが前兆だったのですね。お昼もいつものイタリア料理店でおいしく食べて帰宅。

 午後はコンピューター技術者のダニエルくんに久しぶりに来てもらい、ついでに再インストールしてもらいました。ところが夜、メールボックスを開けて見ると、2008年の7月末から今日までの送受信メールが全て消滅してしまっています!!! ぐわ〜ぁ、どうしよう!!!彼はいつも最後の詰めがあまいのよね。これで第二次トラブル発生。メールアドレスがわからなくなった人のアドレスを、わかっているアドレスの持ち主に尋ねたり、送ってくれたメールをもう一度送ってくれるよう、別の人にお願いしたり。またすごく気が疲れました。というか、まだずっと疲れっぱなし。丸1年分よ!

 15日(水):今日は、一日で小さな仕事を仕上げなくてはいけない日。こちらの方は、テキストは既に保存してあったので、無事何とか仕上げ、夜、書類添付で納入。

 16日(木)、17日(金)、18日(土):ついに発熱、39度以上で寝込む。やっと土曜日に熱、下がる。ところが、ボーっとした頭に夜中になって突然浮かんだのが、しまった、20日締め切りの仕事があったんだ!ということ。トラブル発生前は覚えていたのに、興奮状態の1週間で、すっかり頭から抜け落ちてしまっていました!こちらの締め切りは、日本時間の20日(月)までだから、中欧時間では20日(月)の17時まで。でも20日には、配管屋さんとダニエルくんが来ることになっているので、その間は仕事ができません。ということは、明日中に仕上げなければいけないということじゃない!でも、ギリギリで思い出して、本当によかった!

 19日(日):というわけで、丸一日がんばって、夜、ついに納入。

 20日(月)、21日(火):当然といえば、当然だけれど、また高熱。22日(水)、やっと起き上がりました。どうも体調は一直線によくなって行くのではなくて、やはりしばらくは時々熱を出しながら、全体として上向いていく、のかもしれません。
  そうそう、月曜日には、ダニエルくんに、もう一度、消えた1年分のメールを取り出してもらえました。もちろんすごく嬉しかったんだけど、ああ、もう、何と言うか・・・。

 とにかく心身ともに興奮しっぱなしの10日間でした。神経をノコギリでギコギコ、仕事で神経大集中、それから熱でウンウンのコンパクト3点セットで猛烈に疲れました。でも、休暇に間に合ってよかった!!! この前の保養休暇はボツになってしまいましたが、土曜日からアルプス山中へ今度こそ保養に行って来ます。あ〜あ、新鮮な山の空気の中で本当にたっぷり休みたいです! 

 というわけで、更新日誌は2週間ほどお休みになりますが、どうぞよろしくお願いいたしますね。皆さんもいよいよ本格的となった日本の夏、スイカ、カキ氷、海etc.夏の楽しみで、上手に乗り切って行ってくださいますよう!

 

2009年7月11日(土)久しぶりのホイリゲ
   
長い間の雨もどうやら収まって、とてもよいお天気になったので、久しぶりに郊外へ出掛けることにしました。まずは一度行ったことのあるメードリングのパノラマレストランで少し遅めのおやつ。遠くにウィーンの街がきれいに展望できてとても気持ちがいい!椅子のグリーンとテーブルクロスの濃い赤が周囲の緑とよくマッチして温かい感じだし、下の遊び場からは、ブランコや滑り台に興じるかわいい声が響いてきます。カフェ・ラテと今年最後のいちごを味わいながら、しばしおしゃべりした後は、近所の緑の中をお散歩。車でたった30分ほどで、麦畑やヒマワリ畑が広がる風景の中を歩けるなんて嬉しい!空気の味ももちろん違います!

 6時近くなったのでちょっと移動して、この前発見した、グントラムスドルフのワインがすごくおいしかったホイリゲへ。するとテーブルの上に椅子がかぶせてあって、どうもお休みのよう。ホイリゲというのは、本来ワイン農家が経営するものですから、1ヵ月のうち2〜3週間開けて、後はまた必要な仕事をします。もちろん町には一年中開けているホイリゲもたくさんありますが、これは本当は「ホイリゲ」とは言えないのです。

そこで庭のトラクターのそばにいたご主人に、「次はいつ開けるんですかぁ?」と尋ねると、「ああ、うちは9月まで休みだよ。でも娘のとこなら、開いてるよ。ここを左に行って・・・」と、娘さんの経営するホイリゲの場所を教えてくれました。移動しているほんの短い間に幾つも同じ名前の看板を見たので、どうもここは大ワイン農家で、名門ホイリゲらしいと推察。さっきのおとうさんの主な担当はワイン生産の方なんだね、と話しました。そうでなければ、みなが一番ホイリゲに行く夏に、丸々休んだりしませんもん。建物もおとうさんのホイリゲの方は、倉庫を改造したみたいで、雰囲気にはあまり気を配ってない感じだし。

 さて、あ、ここだ!と、娘さんのホイリゲの前に立つと、構えの立派な大きなお店です。日の当たる中庭のテーブルから、ワインとおしゃべりを楽しむ笑い声が聞こえます。ホイリゲのよいところは、安く、気軽に食事とおしゃべりが楽しめること。ワインはテーブルで注文しますが、食べ物はビュッフェに買いに行きます。そこでローストチキン、焼肉の塊、サラダ、クネーデル(パンを材料にしたゆで団子)など好きなものを選びます。もちろん甘いものも揃っています。食べる量、飲む量にもよるけれど、合計一人当たり2000円も出せば、お腹も喉もごきげんになります。

  しばらくすると吹奏楽隊が演奏しながら中庭に入って来ました。全員で12〜13人。そう言えば入り口近くで誕生パーティーを祝っている人たちがいましたっけ。私たちも他のお客さんたちと演奏を楽しんで拍手喝采。お誕生日を迎えた人が、吹奏楽隊に挨拶をし、オレンジジュース入りシャンパンを一人一人に配っています。楽団員たちは楽器をそばのベンチに置いて、シャンパンを飲み、オープンサンドをつまみながら歓談。演奏の間、そばに座って、犬をなでながらニコニコして見ていたおじさんもいたし、なんかとってもいい感じでした。私も写真を取りに行ったついでになでなでしちゃいました。今日はラッキーだったぁ!

大き過ぎて食べ切れなかったローストチキンは、「お持ち帰り」して、翌日の晩御飯のおかずになりました。


  2009年7月3日(金)症例研究 
    
今日はいつもはちょっとできない体験をして来ました。私が通っている漢方医のケヴィン先生(ケヴィン・コスナーに名前がちょっと似ているので、ケヴィン・コスナーファンの私は勝手に漢方の先生をこう呼んでいます)が、「今度アメリカから僕らオーストリア漢方医がとても尊敬し、評価している漢方医学の教授がウィーンに来て、オーストリア漢方医有志と症例研究をするんだけど、その患者としてあなたを推薦したいがどうか?」と言って下さったからです。

  午後5時過ぎ、13区の漢方医の診療所にケヴィン先生を含め、8人のオーストリア漢方医が集まりました。先生方は長い机に4人ずつ、大きな机の前の大先生の方を向いて二列に座ったので、なんだか教室で授業を受ける生徒みたい。くだけた夏の私服を着ていたので、なおさら先生のようには見えませんでした。

   さて、私は前の大きな机に座った大先生のあれこれの質問に答え、診察を受け(脈診、舌診。腹診は診察室で横になって)、その後大先生(と言っても年齢は40代前半くらいにしか見えませんでした)が、8人の先生たちに結果を講義。英語に身体の状態や漢方薬の材料を表現する中国語が混じった解説だったので、私はかなりちんぷんかんぷんでしたが、ケヴィン先生は、終わった後、ニコニコして親指を力強く立てOKサイン、「すごくよかった!色々わかったよ!」と目を輝かせていました!

  私の場合、まず繰り返す熱を完全に出ないようにすること(今のところ、熱は出ていず、元気です!)、そしてその後は基本の病気であるやっかいな再生不良貧血の治療、つまり健康な血液の生成が問題になってくるわけですが、その治療方針のポイントが掴めたんだと思えました。本当に行ってよかった! ようし、諦めずに健康になるぞぉ!先生一人に患者さん二人まで推薦できるということでしたから、8人の先生が全て2人ずつ患者さんを連れて来たとすると16人。私の診察とその後の解説にかかった時間は35分でした(ああ、密度高かった!)が、その分で行くと、症例研究には3日間くらいかかる計算になります。

   でもこうして定期的に集まって、漢方医同士が情報交換したり、学び合い、教え合うのは、漢方医学を広め、また発展させるためにとても重要なことですから、こうした集まりがあるのはとっても嬉しいな! 早目に着いたので、先生方が集まって来た時の様子を見ていたら、お医者さんどうし、またアメリカからの大先生とも、みんな、とても親しそうで、再会できた喜びをいっぱいに表現していました。

 こんな嬉しいことがあったのですから、その後はもちろんイタリア料理店へディナーを食べに行ってしまいましたよ。


 

   Home | ごあいさつ 
仕事と生活 | お気に入り作家紹介 | ウィーン我が愛の街 | 旅日誌
|
 Café
  |
ひとりごと | 更新日誌 | 
リンク集